浄土真宗親鸞会 岐阜

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 祖師の90年 ご遺徳を仰ぐ

浄土真宗親鸞会 降誕会特集

 古より、仏教を伝えられた方は多くありますが、私たちがとりわけ親鸞聖人のご生誕を寿がずにおれないのはなぜでしょうか。
  聖人90年の波乱のご生涯を追慕しながら、古今のすべての人々に弥陀の大悲を開顕してくだされたご遺徳を、ともに仰ぎましょう。

 

9歳 明日ありと思う心の あだ桜 

 なぜ親鸞聖人は、仏道を歩まれるようになったのでしょうか。

 平安時代の末期、聖人は京都・日野の里にお生まれになられました。父君は藤原有範卿、母君は吉光御前といわれます。4歳の時に父君と、8歳の時には母君と死別され、その翌年、仏門に入る決意をなされています。

 後に天台座主となった慈鎮和尚の寺・青蓮院で、出家の願いは許され、得度の式は翌日行われることになりました。その時、9つの聖人が詠まれたと伝えられるのが、

「明日ありと 思う心の 仇桜
 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

という歌です。

「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりも儚きものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
 慈鎮和尚は感嘆し、その夜のうちに出家の儀が行われ、聖人は天台宗の僧侶となられたのです。

青蓮院
親鸞聖人が得度された青蓮院

 生ある者、必ず死す。どんな人も死を免れることはできません。では死んだらどうなるのか。後生がハッキリしない。聖人の聞法の出発点は、その真っ暗がりの後生に驚かれてのことでした。

 これは聖人だけの問題ではありません。吸う息吐く息、後生と触れ合っているにもかかわらず、何の保証もない明日を固く信じて生きているのが全人類の実相です。

 聖人はわずか9歳で、その大問題に真正面から取り組まれたのです。

 

9歳〜29歳 定水を凝すと雖も

 天台宗など当時の主流であった仏教では、苦悩の根元は煩悩だと教えています。煩悩とは、欲や怒り、愚痴などのことで、一人一人に108あると仏教には説かれています。

 聖人は、煩悩と闘い、全身全霊修行に打ち込まれましたが、どうにも、後生暗い魂の解決はできませんでした。

 存覚上人の書『歎徳文』には、その苦闘が生々しく記されています。

「定水を凝すと雖も識浪頻に動き、心月を観ずと雖も妄雲猶覆う、而るに一息追がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生の交衆を貪って徒に仮名の修学に疲れん、須らく勢利を抛って直に出離をねがうべし」(歎徳文)

「あの琵琶の湖水のように、なぜ親鸞の心は静まらぬのか。思ってはならぬことが思えてくる。考えてはならぬことが浮かんでくる。恐ろしい心が噴き上がる。どうしてこんなに、欲や怒りが逆巻くのか。あの月を見るように、なぜ、さとりの月が見れぬのか。みだらな雲がわき上がり、心の天を覆い隠す。こんな暗い心のままで死んでいかねばならぬのか」

比叡山と琵琶湖
比叡山と琵琶湖

 吸う息吐く息に、永遠の苦患に沈む自己を知られて、居ても立ってもおれぬ不安に襲われる。こんな一大事を持ちながら、どうして無駄な月日が流せよう。はやく俗念を投げ捨てて、この一大事解決せねば----。

 求道に精根尽きられた聖人は29歳、ついに下山されたのです。

 

29歳 雑行を棄てて 本願に帰す

浄土真宗親鸞会 長良フォーラム